武良選手は、200メートル、100メートル平泳ぎで東京五輪出場の切符を手にすることができました。
2019年12月、日本選手権の200メートル平泳ぎで自己タイムを一秒縮め、3位入賞しましたが、十分な結果とならず、「これ以上は厳しい」と連絡を受け、所属企業であった木下グループとの契約が2020年3月に終了しました。
その後、しばらくプールから遠ざかる期間があったものの、家族、コーチの後押し、周囲の支援もあってアルバイトをしながら、苦難を乗り越え東京オリンピック平泳ぎで内定することができました。
さらに、水泳平泳ぎ武良竜也選手について調べてみました。
武良竜也(むらりゅうや)bwsのプロフィール
ムラリュウヤはアルバイトで食いついだ苦労人
自粛ムードの中、多くの選手が所属先解除やスポンサー契約が終了となり選手活動続けられなりました。武良選手もその中の一人であり、子供の頃からオリンピックを目指し、夢でもあったので、所属先なくして続けることはほぼ不可能だと思われていました。
所属先から契約解除を言い渡される
2019年12月、日本選手権の200メートル平泳ぎで自己タイムを一秒縮め、3位入賞しましたが、十分な結果とならず、「これ以上は厳しい」と連絡を受け、2020年3月に所属企業であった木下グループとの契約が終了しました。
でもムラ選手は諦めなかった
2か月間、水泳から遠ざかっていた期間があったようですが、やはり、水泳のない生活に物足りなさを感じ、飽きてきたこともあって、やはり自分には水泳がなくてはならないと改めて気がついたようです。
5月からは自宅でトレーニングを始め、プールに戻りました。そこで決心したようです。
「とりあえず、あと1年やろう。どうせやるなら無駄な1年にはしたくない。本気でやろう」と腹をくくった。
アルバイトしながらも藤森コーチと二人三脚
コーチがアルバイトをしてでも「やってみないか」という言葉が武良選手の背中を押しました。しかし、アルバイトをするのは本人、コーチもアルバイトをしながら選手活動をすることがどれだけ大変なことは知っていたと思います。
早朝練習後、朝9時から午後6時までアルバイトして、その合間に50社ほど所属会社、スポンサー探しをしていたようですが、全くいい反応はなかったようです。
やはり、コーチなんだな~って思ってしまいました。やれるだけやってみることの重要性を知っていたと思いますし、武良選手ならまだまだやれると思ったのでしょう。
どんなコーチでも苦しんでいる選手を見るのは辛いものだと思いますけど、そこを支えて上に持っていくのがコーチなんだと思います。
ご両親といい、コーチといい、「もう一年やってみたら」という言葉でやってみようと決心し、鳥取県水泳連盟も協力してくれるようになり、武良選手を応援する輪がどんどん広がっていったようですね。
そして、武良選手は、藤森コーチに「水中映像を撮ってください」などと自ら課題をもって練習するようになったようです。こういう状況になるまで本人は「誰よりも早く練習を終わりたい」と冗談っぽく語っていました。なかなか正直ですね。
水泳のない生活に飽きも感じていた。昨年5月ごろから自宅でできるトレーニングなどを始め、緊急事態宣言解除後にプールに戻った。約2カ月ぶりに味わった心地よい水の感覚が、最後の後押しになったのかもしれない。「とりあえず、あと1年やろう。どうせやるなら無駄な1年にはしたくない。本気でやろう」と腹をくくった。
いざ練習を再開すると想像以上に出費がかさんだ。貯金だけでは賄いきれず、スイミングスクールのインストラクターや梱包(こんぽう)作業、電話営業といったアルバイトを掛け持ちした。その傍ら、スポンサー探しにも着手。スポーツ支援に手厚い企業や地元・鳥取県の会社など、手あたり次第メールを送って自身を売り込んだ。その数は50社を優に超える。だが、コロナ禍で厳しいのは企業も同じ。受け入れ先は見つからなかった。
武良選手にとってとてもつらい経験となりましたが、水泳との向き合い方が変わったと言っています。
契約解除後は、一瞬「ここで終わり」と頭をよぎったようですが、本当に結果オーライです。
練習時間が半減でも頑張った
自分の練習時間、量が半分になってしまったにもかかわらず、周りの選手たちの士気を下げてしまうのではないかという感情、思いやりが、また武良選手をどん底から引き揚げた要因の一つだったかもしれません。
もちろん、スポーツ選手は他の選手を負かしてなんぼかもしれませんが、そうではないんだということを教えられました。
やはり普段からの人柄がその人の人生を変えることができるのでしょうね。
午前5時からの朝練後、午前9時~午後6時まではアルバイトに時間を割かざるをえなかった。途中で練習を抜ける日もあった。チームメートは、東京五輪を本気で目指すトップ選手ばかり。「そんな中途半端にやって、みんなの気持ちを下げてしまうんじゃないか」と不安を抱える武良を、仲間たちは温かく受け入れてくれた。
練習量は以前の半分以下まで減った。その分、「みんなの倍か3倍。一回一回の練習を誰よりも頑張ろう」と自分を限界まで追い込んだ。淡々とこなしてきた練習の意味を改めて考え、より速くなるためにどうすべきかを追求するようになった。全体練習後、明確な課題意識を持って「水中映像を撮ってください」と藤森コーチに頼むことも増えた。「自分で細かく泳ぎを考えるようになった。今までは誰よりも早く練習を終わりたいという感じだったのに」。冗談ぽく笑いながら、藤森コーチは教え子の成長に目を細める。
こうやって追い込まれて諦めなかったことで武良選手は、周囲の応援もあって自ら考え、練習に励み、記録、そして結果を出すことができました。
平泳ぎは技術で大きく変わる可能性がある種目だそうです。なので、武良選手もコーチに積極的に自ら注文してアドバイスをうけるようになりました。
ムラリュウヤ選手ミキハウスと所属契約!
2021年4月11日、ミキハウスと所属契約し、ミズノブランドアンバサダー契約も締結しました。
苦難の一年が武良選手にとっては、人生を左右する転換期だったのです。本人もさらに上を目ざし、いい色のメダルを奪いに行くでしょう。
競泳の男子200メートル平泳ぎで東京五輪代表入りした武良竜也(24)が11日付でミキハウスに入社することが10日、発表された。同社を通じ「競技に集中できる環境が整った。東京五輪でのメダル獲得を目指す」などとコメントした。
武良選手は、男子平泳ぎ100メートルの世界記録保持者の英国の選手を参考にしたことで、無駄なく手を動かすフォームを取り入ることができ、飛躍的にタイムが上がりました。もう、自分が頑張らないでどうするんだ!という気持ちで必死だったのでしょう。
武良りゅうや選手、東京オリンピック水泳平泳ぎ代表内定
出典: www.mizuno.jp
200m平泳ぎで東京オリンピック内定することができ、100mも内定しました! このことは、本人も天に昇るほど嬉しい結果だったと思いますが、ご家族、コーチ、所属先、仲間、応援しているすべての人も大喜びしたことでしょう。
選考会では、両サイドに強豪であり、ライバルである渡辺、佐藤両選手がいたことは、相当なプレッシャーだったでしょうが、武良選手はラスト50mまでついていければ抜けると思っていると自信をもって言っています。
コーチのアドバイスに従うだけでなく、自分からコーチにガンガンと食いついて行った成果の現れでしょう。
選手としても、人としても著しく成長した一年になった武良竜也選手は素晴らしいです。
そして、この笑顔、、いいですね、イケメンスイマーです!
まとめ
出典: mainichi.jp
苦難を乗り越えて結果を出した武良選手が手に入れた東京オリンピックの切符。東京オリンピックでは、もっといい色のメダルをとりたいと言っています!
是非、私達に東京オリンピックでとったいい色のメダルを見せてくれることを期待しています。
武良選手が苦しい時に支えとなった曲だそうです。
苦しいとき、人気ロックバンドONE OK ROCKの「努努-ゆめゆめ-」という曲のワンフレーズが武良の支えになったという。 「夢は見るモンじゃなく soかなえるモンでしょ?」
あと少しで東京オリンピック! 胸を躍らせながら応援してます!
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