開催が延期された東京オリンピック。大変な中、努力を続けオリンピックの切符を掴んだある選手を紹介します。
競泳で100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎの代表選手に選ばれた、武良竜也(むらりゅうや)選手です。
「武良」という苗字は珍しいですね。それには出身地が関係していました。
他にも兄弟のことや、東京オリンピックの代表選手に選ばれるまでに多くの苦労を乗り越えたことがわかりました。
武良選手を知って一緒に応援しましょう。
武良竜也(むら りゅうや)のプロフィール
まずは武良選手のことを知ってもらいたいと思います。プロフィールや出身学校をみていきます。
むらりゅうやのプロフィール
名前 : 武良 竜也 (むら りゅうや)
生年月日 : 1996年7月3日
身長 : 173㎝
体重 : 70kg
所属 : ミキハウス
オリンピック出場予定種目 : 100メートル平泳ぎ・200メートル平泳ぎ
爽やかな笑顔の好青年です。学生時代からイケメンで有名だったそうです。
武良選手は2021年4月の競泳日本選手権の200メートル平泳ぎで2位になりました。その結果、200メートル平泳ぎの代表選手に決定しました。
続けて2021年7月9日に100メートル平泳ぎの代表選手にも選ばれたことが発表されました。
200メートル平泳ぎの代表選手に内定した時の写真です。その後、ミキハウス所属も発表されました。
なんと武良選手は東京オリンピックが初めての大きな世界大会になります。応援する方もドキドキしちゃいますね。
出身高校・大学は?
武良選手の出身高校と大学をみていきます。
高校は出身地である鳥取県の米子北高等学校です。
こちらの学校は普通科の「特進コース」「進学コース」「普通コース」と看護科があり、生徒が目指すべき夢に向けコースが選べるようになっています。
また、サッカー部は全国高校総体で準優勝したこともあり、卒業生の中には日本代表に選ばれたプロサッカー選手もいます。
まさに文武両道の学校で、日々水泳に取り組み力をつけていたのでしょう。
大学は日本体育大学です。こちらはスポーツ選手を目指す人や体育の先生を目指す人などが通う、専門性の高い大学です。
大学時代は水泳部に所属し、日々練習に励んでいたようです。
日本体育大学卒業のオリンピック選手には、競泳選手の北島康介さんや体操選手の内村航平さんがいます。他にもたくさんのメダリストを輩出している大学です。
大学時代には「夢はオリンピック出場」と語っています。全国から集まった力のある選手たちの中でオリンピックを目指していくことは本当に大変なことでしょう。
大会でも実力者たちが集まるわけですし、その中で夢のオリンピック選手内定を実現した武良選手を尊敬します。
「武良」の読み方はむら?たけら?出身地に関係が!
「武良」という苗字、最初から読めましたか?恥ずかしながら私は読めませんでした。「武良」と書いて「むら」と読みます。
「武良」という珍しい苗字は、出身地である鳥取県米子市に関係がありました。
苗字の由来として、平安時代の書物に記録されている地名、という説がありました。今の鳥取県境港市あたりの地名だったそうです。
「武良」という苗字を持つ人は日本全国で鳥取県に一番多く集まっています。ちなみに境港市と米子市は隣です。
武良選手の出身地である鳥取県米子市は海沿いの街で、皆生温泉という温泉地もあります。武良選手は海でもたくさん泳いでいたかもしれませんね。
鳥取県境港市には「水木しげるロード」があります。あの「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげる先生が鳥取県境港市出身だったことから作られました。
そして、驚くことに水木しげる先生の本名は「武良 茂」さんだったことがわかりました。同じ苗字だったんですね。
へぇ~へぇ~へぇ~(ト〇ビアの泉風)
米子市や境港市はとっても素敵なところですね。ぜひ足を運んでみたいです。
むらりゅうや選手の兄弟は?○○のきっかけ?
出典:https://www.pref.kanagawa.jp/
武良選手のご家族を調べました。
家族構成は両親とお兄さんとお姉さんです。
水泳を始めるきっかけは、ご兄弟でした。お兄さんとお姉さんが水泳を習っていて、武良選手も5歳から競技を始めたそうです。
また、大学時代には「尊敬する人」として「両親」と答えています。きっとご家族が競技人生を支えて応援してくれてるのでしょう。
武良選手のインスタグラムにはお姉さんとの写真が投稿されていました。
犬の散歩中に撮られた写真のようですが、モデルのようにポーズをとってらっしゃいますね。仲の良さが伝わってきます。
オリンピックまでの道のりは努力の賜物
オリンピックを目指し学生時代を水泳に費やしてきた武良選手。しかし、オリンピックまでの道のりはそう簡単ではありませんでした。
苦労の連続
東京オリンピックの延期が決定した2020年3月頃、大学卒業後から支援を受けていた企業との契約が打ち切りになりました。
引退を考えるようになっていましたが、そこで競技を続けるよう背中を押してくれたのはご両親でした。
もんもんとした気持ちを抱えつつ、両親に今後の相談をすると、「五輪は小さいころからの夢だったんだから諦めないで。あと1年頑張ったら?」と背中を押された。師事する藤森善弘コーチからは、「アルバイトをしながらでもいいから、もう少し続けないか?」と声をかけられた。
そうして、あと1年やろうと腹を括り、練習を再開させます。しかし、実際はそう簡単にはいかず、練習のみに集中することは難しかったようです。
いざ練習を再開すると想像以上に出費がかさんだ。貯金だけでは賄いきれず、スイミングスクールのインストラクターや梱包(こんぽう)作業、電話営業といったアルバイトを掛け持ちした。その傍ら、スポンサー探しにも着手。スポーツ支援に手厚い企業や地元・鳥取県の会社など、手あたり次第メールを送って自身を売り込んだ。その数は50社を優に超える。だが、コロナ禍で厳しいのは企業も同じ。受け入れ先は見つからなかった。
練習費用を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちでやっていたなんて、努力家ですね。しかもスポンサー探しもご自分でやっていたとは驚きです。
アルバイト生活で練習時間が1日3時間程しか確保出来なくなり、練習量は以前の半分以下まで減少したそうです。けれども、そのことが武良選手の考え方に大きな影響を与えます。
「みんなの倍か3倍。一回一回の練習を誰よりも頑張ろう」と自分を限界まで追い込んだ。淡々とこなしてきた練習の意味を改めて考え、より速くなるためにどうすべきかを追求するようになった。全体練習後、明確な課題意識を持って「水中映像を撮ってください」と藤森コーチに頼むことも増えた。
そのかいあって、自己ベストタイムを2秒早めること出来、オリンピック選手に選ばれました。
オリンピック延期が決まる前の自己ベストは2分9秒台でしたが、2021年4月の競泳日本選手権の決勝では2分7秒58の記録をたたき出し自己ベストを更新しました。
その後、コロナに感染し3週間練習が出来なかったものの、復帰してからはハードな練習量をこなし体力は戻ってきているようです。
【#東京五輪 カウントダウン第52回、開幕まで14日】「平泳ぎの苦労人」、#競泳 男子日本代表 #武良竜也 選手 本日のサンスポ朝刊より https://t.co/FTks4PiZmR pic.twitter.com/p1EiDrWLgN
— サンスポ五輪パラ (@sanspo2020) July 9, 2021
これまでは他のライバル選手に隠れ無名と言われた武良選手。大変なこともありましたが、まさに努力が実って勝ち取ったオリンピックの切符です。
辛いときの支えになった歌とは?
武良選手には辛いときに支えになった歌があります。
それは、人気ロックバンONE OK ROCKの「努努-ゆめゆめ-」という曲です。その中の「夢は見るモンじゃなく so かなえるモンでしょ?」というワンフレーズが特に支えになりました。
歌詞だけでなく、ONE OK ROCKのかっこいいメロディーも相まって、夢を追いかける全ての人への応援歌として、響くものがありますね。
まとめ
・競泳 オリンピック選手(100メートル平泳ぎ・200メートル平泳ぎ)
・出身地は鳥取県米子市
・苗字の「武良」は鳥取県由来
・兄と姉がいて、水泳を始めったきっかけになった
・努力をかさね、夢のオリンピック選手に
武良選手本人のことから「武良」にまつわるトリビアにも触れてきました。
おかれた状況に臆することなく努力を続けた結果、夢を叶えたことを知って感動しました。
後がない状況で出来ることを精一杯やる力は、オリンピックのような大舞台でも発揮されることでしょう。そして、輝くメダルがかけられることを期待しています。
武良選手のことを精一杯応援します。東京オリンピックが楽しみです。
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